最高裁判所第三小法廷 平成9年(オ)192号 判決 1998年11月10日
岐阜県益田郡下呂町東上田一八八六番地
上告人
合資会社下呂膏社
右代表者無限責任社員
吉田正弘
右訴訟代理人弁護士
植村元雄
名倉卓二
右補佐人弁理士
後藤憲秋
吉田吏規夫
名古屋市名東区平和が丘二丁目一二六番地
被上告人
愛知奥田家下呂膏販売株式会社
右代表者代表取締役
加藤鈞
岐阜県益田郡下呂町東上田四一七番地
被上告人
株式会社奥田又右衛門膏本舗
右代表者代表取締役
伊東誠
同
森二八番地
被上告人
奥田家下呂膏販売株式会社
右代表者代表取締役
伊東千代子
右三名訴訟代理人弁護士
小坂重吉
山崎克之
町田正裕
田中俊夫
右当事者間の名古屋高等裁判所平成七年(ネ)第八一九号商標権侵害差止等請求事件について、同裁判所が平成八年一〇月二三日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人植村元雄、同名倉卓二、上告補佐人後藤憲秋、同吉田吏規夫の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、結論において是認することができる。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難し、原判決を正解しないでこれを論難するか、又は原判決の結論に影響のない事項についての違法をいうものにすぎず、採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 千種秀夫 裁判官 園部逸夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 元原利文 裁判官 金谷利廣)
(平成九年(オ)第一九二号 上告人 合資会社下呂膏社)
上告代理人植村元雄、同名倉卓二、上告補佐人後藤憲秋、同吉田吏規夫の上告理由
原判決には、以下に述べるとおり、法令及び経験則に違背して、誤った事実認定をしたものであって、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背があり(民事訴訟法三九四条)、また、審理が不尽のため、判決に理由不備(民事訴訟法三九五条一項六号)を来しており、更には、理由齟齬(民事訴訟法三九五条六項)が存するので、原判決は破棄されるべきである。
第一、被控訴人商標の専有権の範囲について
一、原判決は、「控訴人は、イ号標章(四)とともにその上に組み合わせた形で使用されているイ号図形は、円に内接する三角形の中に一羽の鳥を配した図形で、右三角形の右上の円内に「下呂」、同左上の円内に「東上田」、同下の円内に「奥田家」の各文字が記載きれているのに対し、被控訴人図形には右のような各文字は全く存在せず、両者はその構成が明らかに相違しているのであるから、イ号標章(四)とイ号図形を組み合わせた別紙(一)記載の標章は、被控訴人登録商標と同一とはいえず、その使用は、被控訴人らの専有権を逸脱しているのであって、そうだとすれば、イ号標章(四)の使用は被控訴人登録商標の使用には該当しないというべきである旨主張する。
しかしながら、別紙(一)記載の標章中に使用されている控訴人主張の各文字は、標章全体の大きさに比して細かな文字となっていて、全体の印象に影響を与えるほどのものとは認め難く、他方、右標章と被控訴人登録標章との同一性は、一見しての印象上明らかであるから、別紙(一)記載の標章の使用は被控訴人登録商標の使用に該当すると認めるのが相当である(なお、イ号図形は、別紙(三)の被控訴人本舗の登録番号一二一三三六九号の登録商標とほぼ同一のものである。)従って、控訴人の右主張は採用できない。」と判断している。しかし、原判決の右判断は、商標法二五条、五一条及び五三条から導かれる商標権の専有権の範囲についての解釈を誤っており、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背があると言える。以下に理由を述べる。
二、商標法二五条は、商標権者が、指定商品について登録商標の使用をする権利を専有すると規定し、登録商標についての商標権者の専有権を認めているが、他方、商標法五一条は、商標権者が、故意に指定商品についての登録商標に類似する商標の使用をして、商品の品質、他人の業務にかかる商品と混同を生ずるものをしたときには、何人も、その登録商標を取り消すことができると定め、また、商標法五三条も、専用使用権者又は通常使用権者にまる指定商品についての登録商標又はこれに類似する商標の使用についても、同様の規定を設けている。
つまり、商標権者は、指定商品について登録商標の使用をする権利を専有するものの、専有するのは、指定商品についての登録商標を使用する権利だけであって、これ以外の範囲について、専有権を認めないばかりか、この範囲の使用については、他人の商標権と抵触する等の理由があれば、当該商標の取消を認める罰則的な規定を設け、専用使用権者や通常使用権者についても同様であるとしているのである。
三、かように、商標法は、商標権の専有権の範囲について、厳格な規定を設けているが、他方、商標権者らが実際に使用している商標が登録商標と全く同一でない場合が多いのも事実である。
このような場合に、登録商標を使用していないとして、不使用取消の対象とすることは、取引社会の実情から遊離し、商標権者にとって余りに酷な結果となる。そこで、商標の不使用取消の場合には、若干字体の異なったもの、横書きのものを縦書きにしたもの、他の文字・図形を付記的に結合させて使用するもの、登録商標中の付記的な部分を除いて使用したもの等、社会通念上は登録商標の使用と解して差し支えない場合には、登録商標の使用と解されている。
しかし、商標権に基づく差止請求の対象とされた場合における、登録商標の適法な使用に該当するか否かのを判断する場合においては、右に述べたような不使用取消の場合のような配慮は全く不要であり、原則どおり、その専有権の範囲は登録商標と同一のものに限定されるものとして、厳格に解されるべきである。
四、イ号図形は、円に内接する三角形の中に一羽の鳥を配した円形の図形であり、右三角形の右上の円内に「下呂」、同左上の円内に
「東上田」、更に、同下の円内に、「奥田家」の各文字が記載されているのに対し、被控訴人登録商標中の被控訴人図形には、右各文字が全く記載されていない。
従って、被控訴人図形とイ号図形とは、その構成が明らかに相違しており、イ号標章(四)に「奥田家」の文字が付されていることもあいまって、イ号図形とイ号証標章(四)を組み合わせ、「奥田家」の文字を付加した別紙記載の標章は、被控訴人登録商標と類似とは言えるものの、到底同一ではない。
五、この点について、原判決は、別紙記載の標章に使用されている右の各文字(「下呂」、「東上田」、「奥田家」)が細かいうえに、右標章と被控訴人登録商標との同一性が一見して明らかであるから、右標章の使用は、被控訴人登録商標の使用に該当するとしている。
しかし、原判決の右判示部分は、前述の商標法二五条、五一条及び五三条における商標権の専有権の範囲に関する解釈を誤っているものである。
また、原判決は、イ号図形が、登録第一二一三三六九号の登録商標とほぼ同一であることも述べている。しかし、この原判決の記載が何を意味するのか、その趣旨は不明であるが、仮に、右のような登録商標を被上告人株式会社奥田又右衛門膏本舗が有しており、その登録商標と別紙記載の標章と同一性を有するとの趣旨であれば、まさに、商標法を理解しない判断であると言わねばならない。いずれにせよ、右登録商標は、図形のみのものであるため、別紙記載の標章とは、到底同一ではないことは、論を待たないところである。
六、ところで、本件の場合は、被控訴人登録商標と、実際に被上告人らが使用している、別紙記載の標章は、前述のとおり、類似ではあるものの同一であるとは到底言えないものである。従って、被上告人らの使用する別紙記載の標章は、被控訴人商標における被上告人らの専有権の範囲を逸脱しているのであり、被上告人らは、この標章について、専有権を有しない。
故に、被上告人らの別紙記載の標章の使用は、被控訴人登録商標の使用に該当しない。そして、イ号標章(四)は、上告人の本件登録商標に類似するものであるから、当然、差止の対象となるのである。
第二、権利濫用について-その一(商標法四条一項一〇号との関係)
原判決並びに原判決がその事実認定を支持している第一審判決は、いずれも権利濫用の成立について、種々の要素に分けて認定しているので、以下に、その各要素について述べることとするが、本項では、商標法四条一項一〇号の関係について述べる。
原判決ならびに原判決がその事実認定を支持している第一審判決は、いずれも、権利濫用の成立について、本件登録商標が商標法第四条第一項第一〇号(以下、単に「四条一項一〇号」という。)の事由に該当することを前提としている。
しかしながら、原判決ならびに第一審判決は、四条一項一〇号の規定の解釈、特にその判断基準時について初歩的な明らかな誤りを犯しており、本件登録商標が四条一項一〇号の事由に該当しないことは明白でみる。
従って、原判決は、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背がある。
のみならず、原判決は、当該理由についての上告人の主張に対して何ら十分な審理をすることなく判決に至ったもので、審理不尽、理由不備の違法がある。
(「商標法四条一項一〇号の事由」と「無効事由」)
一、原判決は、「控訴人は、原審が、本件商標に無効事由があることを前提として判断をしていると非難するが、原審は、『本件登録商標の出願時において、本件標章は、六代目又右衛門によって使用され、かつ、その業務に係る商品を表示するものとして需要者の間に広く認識されていたのであるから、商標法四条一項一〇号の事由があり、控訴人は、本件登録商標について登録を受けることができなかったのである。』としているだけであって、商標法四条一項一〇号の事由につき出願時を基準として、本件登録商標に無効原因があると判断しているものでないことは明らか」であると判示している。しかし、原審の右判断には、審理不尽、理由不備の違法があると言わねばならない。
二、上告人は、原審における平成八年一月二〇日付け第一準備書面において「原判決(第一審判決)が権利濫用とした主たる理由は、本件商標には無効事由が存在し、控訴人がその無効事由を知っており、かつこれを知りながら本件商標を得たという点にある。」などと、第一審が権利濫用の前提として「商標法第四条第一項第一〇号の事由」と認定した部分について「無効事由」なる表現を用いている。
確かに、第一審判決では、右原判決の判断事項一の引用部分のように、「商標法四条一項一〇号の事由があり、控訴人は、本件登録商標について登録を受けることができなかったものである。」と表現されていて、「無効事由」とは言っていない。
三、しかしながら、第一審判決は「控訴人は、本件登録商標について登録を受けることができなかったものである。」としているのであって、「登録を受けることができなかった」にもかかわらず「登録を受けた」、つまり、実質的には無効事由が存在するとの判断が示されていることは明らかである。
なお、この四条一項一〇号の規定は、条文の見出しには「商標登録を受けることができない商標」と表現され、一般的には「不登録事由」と称されている。そして、この「不登録事由」は出願審査では「拒絶の理由」(一五条)となり、登録後には「無効事由(理由)」(四六条)となるものである。従って、本件登録商標は登録されているものであるから、いまさら「拒絶の理由」というのも妥当でなく、「無効事由(理由)」というのが適切である。よって、「登録を受けることができなかった」ことについて、これを「不登録事由」と呼ぼうが「無効事由(理由)」と呼ぼうが何ら全く問題がないのである。その「呼び方」「表現」について異なっているからと言って、原判決のように「控訴人の主張は採用できない」として、何らの審理もせず、判断を回避することは、審理不尽、理由不備のそしりを免れない。
四、また、この表現を問題にするのであれば、上告人は、原審において、「無効事由」なる表現を「不登録事由」に代えた主張も行っている。
すなわち、原審における平成八年六月二六日付け第五準備書面「第二、権利濫用について」の項で、「原判決(第一審判決)は、本件商標には、不登録事由が存するうえ、六代目又右衛門の周知商標を同人の無断で密かに商標出瀬をなしたことを主な理由として、控訴人の標章差止請求は権利濫用として認められないと判断する。しかし、右不登録事由の存在についての原判決(第一審判決)の判断の誤り(商標法四条の規定の解釈の誤り)については、既に詳細に述べたところである。」と主張しており、平成八年一月二〇日付け第一準備書面における「無効事由」なる表現が「不登録事由」の意であることを明らかにしているのである。
従って、この点からも、「無効事由があると判断しているものでないから」「控訴人の主張は採用できない」とする原判決には、審理不尽、理由不備の違法がある。
(商標法四条一項一〇号の事由に該当する事実の知、不知について)
一、次に、原判決の、「また、原審の『控訴人代表者は、本件標章について商標法四条一項一〇号の事由に該当する事実が存することを知っていた』旨の判断は、商標法四条一項一〇号に該当する事由の存否を判断したものではなく、控訴人代表者が本件登録商標について登録の出願をした当時、商標法四条一項一〇号の事由に該当する事実が存することを知っていたことをいうのみであって、控訴人主張のような判断をしているわけではないから、控訴人の右主張は採用できない。」と認定しているが、これは、第一審判決の判断を曲解するものであり、やはり、審理不尽、理由不備の違法がある。
二、ある事実(または事由)についての知、不知ということは、その対象となる事実(または事由)が存在し、その存在する事実(または事由)を知っているか知らないかと言うことである。
原判決の右のような論理で行けば、例えば、不法行為における故意の場合、侵害の対象となる権利が存在しないにもかかわらず、その権利が存在するものとして行為に及んだ場合、一例をあげれば、放棄されて所有者の存在しない動産を、甲が乙の所有物であると思って損壊した場合、故意があるとして、乙に対する不法行為責任が生じるということになり、明らかに誤っている。
原判決の判断は、「無効原因」という文言を上告人が用いたことをもとに理由がないとした前項の判断と同様に、第一審の判断を曲解して、商標法四条一項一〇号の事由の存在についての判断を回避せんとしたものであって、審理不尽、理由不備の違法が存するとともに、明らかな論理矛盾による理由齟齬の違法が存するのである。(「出願時」において「四条一項一〇号」に該当するとの判断について)
一、原判決は、「原審は、『…出願時において、…四条一項一〇号の事由があり、控訴人は、本件商標について登録を受けることができなかったものである』としているだけであって」とか、また同じく、「控訴人代表者が本件登録商標について登録の出願をした当時、商標法四条一項一〇号の事由に該当する事実が存することを知っていたことをいうのみであって」などと判示している。そして、原判決が判断を支持している第一審判決は、「本件登録商標の出願時において、本件標章は、六代目又右衛門によって使用され、かつ、その業務に係る商品を表示するものとして需要者の間において広く認識されていたのであるから、商標法四条一項一〇号の事由があり、原告は、本件登録商標について登録を受けることができなかったものである。」と認定し、本件登録商標は、出願時において、四条一項一〇号の事由が存するので登録を受けられないことを前提として、権利濫用の成立を認定しているのである。
二、しかしながら、本件登録商標が「出願時」において「四条一項一〇号」に該当するということが、法律上どのような意味を持つと言うのであろうか。「出願時」において「四条一項一〇号」に該当するということが、権利濫用の判断の要素となるような違法あるいは不当な状態と言えるのであろうか。
ここで、混乱のないように明らかにしておきたいことは、「四条一項一〇号の規定の事由に該当する」とは「登録時(正確には査定または審決時。以下同じ)において四条一項一〇号の規定の事由に該当する」ということを意味するのである。
商標法の四条一項の各号の規定あるいは三条に規定する商標登録の要件など、商標登録に関する要件規定は、すべて、「登録時」に当該規定の事由に該当することを意味しており、この原則をもって我が国の商標審査制度は成り立っている。「出願時」に該当するかどうかは、はっきり言ってどうでもよいことなのである。ただ、特別の規定である四条三項によって一定の事由については、「出願時」の状態も考慮されるのであって、「登録時」を基準とする原則はいささかもゆるがない。(四条三項は、「登録時」に該当することを前提とし、「登録時」に該当する場合にも「出願時」に該当しないときには適用しない、という意味である。)
例えば、三条一項一号の商品の普通名称に該当するかどうかということは、「登録時に」普通名称に該当するかどうかということであって、「出願時」に普通名称であろうがなかろうが、全く関係のないことである。「出願時」に普通名称でなくても、「登録時」に普通名称となっていれば三条一項一号に該当する。反対に、「出願時」に普通名称であっても、「登録時」に普通名称でなくなっていれば三条一項一号には該当しない。三条二項の規定は、「出願時」に周知でなくても「登録時」に周知であればその適用を受けて登録を受けることができる。四条一項一号の外国国旗と同一または類似の商標とは、「出願時」に当該外国国旗があろうがなかろうが、
「登録時」に存在すれば同号に該当し、存在しなければ同号に該当しない。また、実務上しばしば見受けられることであるが、四条一項一一号に関し、「出願時」に他人の同一または類似の登録商標の存在を知りながら、存続期間切れあるいは不使用取消審判の請求を見越して、あえて出願をなし、その目論見通り「登録時」には当該登録商標の存在がなくなって、登録を得る場合がある。この場合、「出願時に四条一項一一号に該当する」とはいわない。
三、右のように、原判決ならびに第一審判決は、本件登録商標が「出願時において四条一項一〇号に該当する」ことを判示するのであるけれども、まずもって、それだけでは、それ自体に何ら法的意味があるものではない。(「出願時」に意味があるのは、「登録時」に「四条一項一〇号」に該当する場合のみである。)
従って、原判決は、本件登録商標が「出願時」において「四条一項一〇号」に該当するという法律的に無意味な理由をもって、権利濫用の要素とした点において、法令違背があり、同様に、法律的に無意味な理由をもって、上告人の主張を斥けた点において、審理不尽、理由不備の違法がある。
四、四条一項一〇号の適用範囲
1、ところで、右に述べたところからも明らかなように、原判決
(ならびに第一審判決)は、四条一項一〇号の適用に関し、解釈を誤った違法がある。
既に述べたように、原判決は、「本件登録商標の出願時において、本件標章は、六代目又右衛門によって使用され、かつ、その業務に係る商品を表示するものとして需要者の間に広く認識されていたのであるから、商標法四条一項一〇号の事由があり、控訴人は、本件登録商標について登録を受けることができなかったものである。」とした第一審判決の判断を支持し、また、「原審の『控訴人代表者は、本件標章について商標法四条一項一〇号の事由に該当する事実が存することを知っていた』旨の判断は、商標法四条一項一〇号に該当する事由の存否を判断したものではなく、控訴人代表者が本件登録商標について登録の出願をした当時、商標法四条一項一〇号の事由に該当する事実が存することを知っていたことをいう」と判示する。
2、しかるに、右判示における「(本件登録商標には)商標法四条一項一〇号の事由があり、控訴人は、本件登録商標について登録を受けることができなかったものである」旨の判断、および「控訴人代表者が本件登録商標について登録の出願をした当時、商標法四条一項一〇号の事由に該当する事実が存することを知っていた」旨の判断は、四条一項一〇号の規定の適用について、出願時を基準として判断していることが明らかである。
しかしながら、商標が四条一項一〇号の事由に該当するか否かは、登録時(正確には査定または審決時)を基準として判断しなければならないことは、商標法の規定より明らかなことであって、原判決碓判断はこの点を明らかに誤っているのである。
3、既に説明したように、四条一項一〇号の規定は、「登録時(査定または審決時)において四条一項一〇号の規定の事由に該当する」ことを意味し、四条三項の特則によって、「登録時」に該当しても「出願時」に該当しない場合には適用しない、とされているものである。「出願時」のみを状態を云々しても全く意味がないことは、前記したとおりである。
原判決ならびに第一審判決は、四条一項一〇号の規定に関し、「出願時」に該当すればただちに同号の規定に該当すると判断しているのである。このような解釈、判断は、商標法に通暁しない初心者等によってしばしばなされるところの初歩的な明白な誤りであるが、第一審判決のみならず、その上級審である控訴審判決においても、その誤りが是正されなかったことは、誠に遺憾である。(なお、この点については、原審における平成八年一月二〇日付け第一準備書面(控訴人)において詳しく述べたところであるので、参照されたい。)
五、本件のケース
1、翻って、本件における「登録時」の状態について見るに、本件商標の登録時である昭和六三年九月二九日においては、引用周知商標の業務主体であるとする「六代目又右衛門」は、その死去後一六年を経過しており、一方、上告人自らが製造許可を受けて「下呂膏」を製造、販売して一五年を経過しており、(死去した六代目又右衛門のためではなく)上告人自らのために、本件登録商標を使用して一六年間にわたるものであるから、どう見ても、本件登録商標と抵触する「六代目又右衛門の業務に係る周知商標なるもの」は存在しない。
以下、各項について説明する。
2、六代目又右衛門の死後一六年の経過
本件登録商標の出願時は昭和四五年一二月一一日で、この出願当時、六代目又右衛門は存命していたが、出願二年後の昭和四七年九月一三日に六代目又右衛門は死去した。
本件登録商標の登録審決時は昭和六三年九月二九日で(甲第八号証の審決参照)、この時点で六代目又右衛門は、その死後一六年を経過している。
しからば、本件登録商標の登録審決時にすでに死後一六年も経過している故人の業務に係る周知商標なるものが存在することはありえない。
3、上告人自らの製造許可による「下呂膏」の製造、販売
一方、本件登録商標の出願人である上告人は、昭和四八年八月二九日に、自ら「下呂膏」についての厚生大臣の製造許可を受けた。そして、上告人は、本件登録商標の登録審決時である昭和六三年九月二九日当時では、この製造許可後一五年にわたって継続して該「下呂膏」の製造販売を自ら行っていたものである。
4、上告人自らのための本件登録商標の使用
さらに、原判決が支持している第一審判決は、上告人と本件登録商標の「使用」の関係について、上告人らは本件登録商標を「六代目又右衛門の業務に係る商品を表示するものとして」(つまり、六代目又右衛門のために)使用していたと、商標法理上誠に特異な認定をしているのであるが(自ら本件登録商標と類似する商標権<第五二一一〇三号>を有し、自ら製造、販売をする者が、自己以外の者の業務に係る商品を表示するものとして当該商標を使用することがあり得るのか)、上告人は六代目又右衛門の死去後も死去前と同一の態様、体裁の本件登録商標を継続して使用していたものであれば、当該商標の使用は、少なくとも六代目又右衛門の死去後は、「上告人自らの業務に係る商品を表示するものとして」使用していたと言わざるを得ない。(いかに原判決といえども、死人のために、死人の業務に係る商品を表示するものとして、上告人が本件登録商標を使用していたとは、言えないであろう。)しかも、本件登録商標の登録審決時である昭和六三年九月二九日当時では、六代目又右衛門の死去後一六年間にわたって上告人自らのために本件登録商標を使用していたのである。
5、右に述べたように、本件登録商標の登録時には六代目又右衛門の業務に係る周知商標は存在しないことは明らかである。
よって、本件登録商標が、商標法四条一項一〇号の事由に該当しないことは明白なことであると言わなけれならない。
六、四条一項一〇号に該当することを要素とする権利濫用判断の違法性
1、以上詳述したように、原判決(ならびに第一審判決)が本件登録商標について商標法四条一項一〇号の事由が存在するとした判断は、同号の規定の適用につき、「出願時のみに該当すればよい」との誤った法解釈に基づくものである。
同号の規定は、出願時および登録時の両基準時に該当しなければ適用されないのであって、この正しい法解釈に従えば、本件登録商標には、四条一項一〇号の事由が存在しないことは明白である。
2、原判決(ならびに第一審判決)は、本件登録商標が「出願時に四条一項一〇号の事由が存在する(該当する)こと」をもって、権利濫用の判断の重要な要素としているものである。
しかしながら、「出願時」において「四条一項一〇号」に該当するということは、それ自体、それだけで、法律上何ら意味があるわけではない。権利濫用の判断の要素となるような、本件登録商標権成立上の瑕疵となったり、あるいは違法性ないしは不当性の原因となるわけではない。
(前記したように、例えば、「出願時」に他人の登録商標が存在する場合においてその後登録を得た商標権は、原判決ならびに第一審判決に従えば「出願時において四条一項一一号の事由に該当する」ことになるが、そのことによって当該商標権成立上の瑕疵となったり、あるいは違法性ないしは不当性の原因となるわけでないことは、多言を要しない。)
3、いずれにしろ、商標法の正しい法解釈に従えば、本件登録商標には四条一項一〇号の事由が存在しないことは明白であり、もし、このような事由がないならば、原判決の権利濫用の判断根拠はその根底から崩壊してしまうことは明らかであるから、原判決は、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反があり、かつ当該理由についての上告人の主張に対して何ら十分な審理をすることなく判決に至ったものであるから、審理不尽、理由不備の違法があると言わねばならない。
第三、権利濫用について-その二(商標法四条一項一〇号以外の要素について)
(「下呂膏」標章の商品表示主体の判断について)
一、原判決は、「さらに、控訴人は、下呂膏の標章は六代目又右衛門の業務に係る商品を表示するものとして需要者の間において認識されていた旨の原審認定が誤りである旨主張するが、右認定の事実が原審挙示の証拠関係から認められることは原審認定のとおりであり、原審が、需要者の認識を考慮せず、六代目又右衛門及び新蔵に関わる個人的な事情並びに主観的意識のみを基準として判断した結果、需要者の認識による商品主体の判断を誤ったものではないことも明らかであるから、控訴人の右主張は採用できない。」と判示する。しかし、原審並びに原審が支持する第一審の認定には、理由不備、理由齟齬があるうえ、経験法則に明らかに違背している。
二、「下呂膏」標章の商品表示主体の判断にあたり、第一審判決は、「需要者の間に認識されていた」との表現を用い、また、原審判決は、「需要者の認識」なる表現を用いている。つまり、「下呂膏」標章の商品表示主体の認識対象を、ともに需要者としているのである。この点については、上告人も全く異論のないところである。
ところで、需要者の認識を問題にする以上、誰の業務に係る商品の表示であるかの判定にあたっては、需要者が認識する事実、すなわち、表示の内容、方法といった客観的な要素に基づき判断されなければならないのは当然である。
しかし、第一審判決並びにその判断を支持する原審判決は、「下呂膏」の製造許可名義、「下呂膏」め名付け親、狐の図形の由来を主な理由として、「下呂膏」標章の商品表示主体の認定を行っているが、これらの事情は、いずれも需要者が到底認識し得ないものである。しかるにかような事情を考慮することは、「需要者の認識」という、右各判決が掲げた商品表示主体の判断基準に明らかに矛盾するものである。従って、その認定自体に、理由不備、理由齟齬があるといえる。
そして、「下呂膏」標章の商品表示主体が誰であるかについては、以下に述べる点から、新蔵ないし上告人であるのは明らかであり、これに反する原審の事実認定には、経験則違反の違法が存する。
三、原審における平成八年三月二九日付の控訴人(上告人)第三準備書面の末尾に、「下呂膏」の薬袋を年代順に配列・整理した表(「下呂膏の薬袋の変遷」)が添付されているので、参照されたい
(尚、同表の最後尾は、被上告人が現在製造販売している「奥田家下呂膏」の薬袋である。)。
商品である膏薬が封入された包装用紙であるところの薬袋は、まさしく商品の顔であって、需要者がその商品を同種商品の中から個別化し、その商品の出所を認識することができる客観的な、唯一かつ最大の手掛かりとなるものである。
そこで、右薬袋の表示について見るに、「下呂膏」が創製された昭和二五年から現在に至るまで、薬袋の表側、つまり正面側のレイアウトはほぼ一貫している。つまり需要者の注意を最も強く引きつける薬袋の正面側には、四角い縁取りの「枠」が施され、枠内中央の上部には二つの四角形と円形(狐の図形)を組合わせてなる「マーク図形」を配し、下部には商品名(商標)である「下呂膏」の表示が大書され、その左側部には、「下呂膏社」の表示が商品名の「下呂膏」に次ぐ大きさで表示されている。このレイアウトは約半世紀に亘って変わっていない。しかも、その「下呂膏社」の表示は、常に一定の定位置である(尚、上告人が設立された昭和三三年以後にあっては「合資会社」の表示が小さく頭書きされている。)。
次に、本書に付属の「下呂膏の薬袋の変遷」の表から当該「下呂膏社」の表示部分を抜き書きすると左記の通りとなる。
記
昭和二五~三四年頃(乙第四四号証の一) 製造元 「下呂膏社」
昭和三四~三六年頃(乙第四四号証の二) 製造元 「下呂膏社」
昭和三七~四〇年頃(乙第四四号証の三) 販売元
合資会社 「下呂膏社」
昭和四〇~四三年頃(乙第四四号証の四) 発売元
合資会社 「下呂膏社」
昭和四三年頃 (乙第四四号証の五) 発売元
合資会社 「下呂膏社」
昭和四三~四六年頃(乙第四四号証の六) 発売元
合資会社 「下呂膏社」
昭和四六~四八年頃(乙第四四号証の七) 発売元
合資会社 「下呂膏社」
昭和四八年頃 (乙第四四号証の八) 発売元
合資会社 「下呂膏社」
昭和四八年頃 (乙第四四号証の九) 発売元
合資会社 「下呂膏社」
昭和四八年頃 (乙第四四号証の一〇)発売元
合資会社 「下呂膏社」
昭和四八年~現在 (乙第七三号証) 発売元
合資会社 「下呂膏社」
四、右のように、「下呂膏社」の文字が、<1>薬袋正面である表側に、<2>下呂膏の文字に次ぐ大きな太文字で、<3>常に一定の定位置に、<4>下呂膏創製の昭和二五年から本件登録商標の出願時点である昭和四六年までの二〇年間(現時点を基準とすれば、ほぼ半世紀に亘っている)の間、一貫して使用されているものであれば、この薬袋に接する需要者は、この商品に出所表示主体が「下呂膏社」(合資会社下呂膏社)であることを認識するのは、社会通念上自然であって、社会常識に適うものである。需要者は、商品の顔である薬袋の正面側の特徴を最も強く認識するのであって、これは人の顔を認知するのと全く同様である。
一方において、昭和四八年頃までの薬袋の裏面には、常に「奥田又右衛門」の表記がなされているのは事実であるが、<5>薬袋の裏側は表側ほど需要者の注意を強く引くものではないこと、<6>「奥田又右衛門」の文字は表側の「下呂膏社」の文字に比して小さいものであること、<7>また、需要者は表側に商品主体の表示がない場合に裏側の表示に注意するものであることなどから、需要者は、この裏側の「奥田家又右衛門」の表示をして、この商品の出所表示主体であるとは考えない。
殊に、本件のように、薬袋の表側の所定位置に大きく「下呂膏社」の文字が表示されていて、これが商品主体表示であると強く印象づけられる場合には、この裏側の「奥田又右衛門」表示をもって商品の出所を示す表示であるとするまでの認識は生ぜず、この表示は需要者に対して「奥田又右衛門」が「下呂膏」あるいは「下呂膏社」と「密接な関係」がある(特許庁審判部の判断-甲第八号証の審決書参照)ことを認識せしめるにすぎない。
需要者が商品の出所表示主体を認識するのは、まず第一に、商品の顔である薬袋の正面側である表側の表示の特徴についてである。このことは、人の顔を認知するのと全く同じで、正面側を軽視して裏面にこだわるのは社会通念上正しくない。
五、また、右のような商品の顔である薬袋表側の表示から、新蔵および上告人は、商標「下呂膏」を、奥田又右衛門の業務としてではなく、自らの業務に係るものとして使用していたことがより明確にわかるのである。
すなわち、新蔵および上告人は、自ら経営し主宰する「下呂膏社」(合資会社下呂膏社)の文字を、<1>薬袋表側に、<2>下呂膏の文字に次ぐ大きな太文字で、<3>常に一定の定位置に、<4>下呂膏創製の昭和二五年から本件登録商標の出願時点である昭和四六年までの二〇年間(現時点を基準とすれば、ほぼ半世紀に亘って)の間、一貫して使用したのであって、このことは当該「下呂膏」に係る商品主体は「下呂膏社」(合資会社下呂膏社)であることを明確に宣言しているのである。
そして、右のような薬袋の表側の表示を見れば、新蔵(あるいは上告人)が六代目又右衛門の業務に係る商品を表示するものとして「下呂膏」商標を使用していたものでないことが明らかにわかるのである。
更に、需要者の認識を判断するには、宣伝、広告等の対外的な活動を考慮しなければならない。
この点について、上告人は、甲第九号証ないし第六八号証の資料を提出している。また、特許庁へ資料を提出した関係で本審では提出されなかったものもあるが、甲第八号証として提出した特許庁審決では「昭和三七年一〇月頃より昭和四五年二月頃まで、「下呂膏」の文字が請求人(出願人・注本件上告人のこと)の業務に係る商品(膏薬)を表示するためのものとして、野立看板、小売店の店頭看板、新聞、雑誌等に継続して広告されていた事実が認められる」としている。
このように、上告人は「下呂膏」が上告人の業務に係る商品を表示するものとして、宣伝、広告等の対外的な活動を行ったのであって、このような活動を通じても、需要者は「下呂膏」の商品主体は上告人であると認識するに至ったのである。
尚、六代目又右衛門が、「下呂膏」が自己の業務に係る商品を表示するものとして、右の上告人のような対外的な宣伝、広告を行った事実は存しない。
(「無断で、密かに」の要素について)
一、原審は、「控訴人は、原審(第一審)が権利濫用を認める一要素として、控訴人が、六代目又右衛門に無断で、密かに、本件登録商標を出願したことを挙げていることを論難するが、仮に、事業経営を行っている控訴人が下呂膏の商品を管理するという事業者としての必要性のために出願したものであるとしても、右の六代目又右衛門に無断で、密かに本件登録商標を出願したことに変わりがないから、これをもって原審の判断の誤りをいうことはできない。」と判断している。しかし、右認定は、権利濫用の成立要件である背信性についての事実認定について、重大な経験則違反が存するとともに、権利濫用について法令解釈の誤りが存する。
二、まず、事実認定について述べると、本件の事実関係は以下のとおりである。
1.福井県芦原で不二化学の名で化学関係の事業を営んでいた新蔵は、薬剤師であり「東上田膏」の製造技術者である大前修以知との間で、昭和二三年二月、契約(甲第五号証)を締結して、修以知から膏薬製造技術の伝授を受けること、新蔵はその対価として一万三五〇〇円の報酬を支払うことを約し、これによって、修以知から膏薬製造技術を承継した。そして、新蔵は、修以知の勧めもあり、下呂町東上田に移住して、ここで膏薬製造事業を興すこととした。
一方、新蔵は、地元の素封家で名接骨医として名高い六代目又右衛門との間で、昭和二四年五月一五日、次の骨子よりなる契約(甲第七号証)を締結した。
<1> 新蔵は、六代目又右衛門の名義をもって監督官庁の認可を得、東上田において下呂膏社を設立して、「下呂膏」の製造及び販売をする。
<2> 新蔵は、東上田所在の六代目又右衛門の建物を賃借する。
<3> 六代目又右衛門は、下呂膏社の経営には関与しないが、下呂膏社を代表し、これの発展には全面的に協力援助する。
<4> 新蔵は、右<1>の事業を経営する報酬及び代償として、六代目又右衛門に対し、膏薬二万枚を無償提供する。
2.新蔵は、右契約(甲第七号証)に基づいて、昭和二五年一月一五日付けで、六代目又右衛門の名義をもって、厚生大臣に対し「下呂膏」の製造に関する公定書外医薬品製造許可申請及び医薬品製造業登録申請をし、許可を得るとともに、昭和二五年には、新蔵と膏薬製造技術を伝授した修以知の間で契約(甲第六号証の一、二。これに対応する甲第九〇号証の一、二)を締結して修以知を下呂膏社の専任薬剤師として迎えた。
一方において、新蔵は、右契約(甲第七号証)の定めによる東上田所在の六代目又右衛門所有の建物(「東上田膏」の工場であった建物)において、昭和二四年一〇月頃から膏薬製造の準備にかかり、原料を購入したり、従業員を雇用するなどした上、昭和二五年から「下呂膏」の製造を開始した。以後、新蔵は、下呂膏社の名において、膏薬の製造、販売のための事業経営を営んで行った。
3.昭和三三年になって、事業経営の基盤が確立したこともあって、新蔵は自己が経営する「下呂膏社」を法人化して「合資会社下呂膏社」(上告人)を設立してその代表者となった。新蔵は、翌昭和三四年三月に死去したが、その事業は妻子らによって合資会社下呂膏社に引き継がれた。
新蔵は、昭和三二年五月三〇日、当時使用していた膏薬の薬袋(乙第四四号証の一)表側に表示されていた「二つの四角形と円形(狐図形)を組合わせてなる図形」と「東上田」および「下呂膏」の文字からなる標章についての商標登録出願をなし、商公昭三二-二〇〇一七号(乙第一九号証)による商標出願公告を経て、昭和三三年五月二七日に第五二一一〇三号商標権として登録を得た(甲第九八号証)。
新蔵は、膏薬製造技術を有する事業家として、膏薬の実質的な製造事業を営むとともに、自ら医薬品の販売業の許可、登録を得て(甲第九六号証)、その製造に係る膏薬を販売するという事業を経営した。
新蔵は、右の事業経営のために、自らの責任と計算の下に、従業員を雇い入れ、給料を支払い、製造計画を立て、膏薬の品質を維持し、原材料を仕入れ、支払をなし、販路の拡大に腐心し、工場の維持に努め、税金を納付した。
4.その後、昭和四〇年頃から薬袋の「下呂膏」の書体が従来のゴチック体から隷書体に変更された(乙第四四号証の四)。そこで、新蔵の死後、同人の事業を承継した新蔵の妻子らによって当該隷書体の「下呂膏」商標(つまり、本件登録商標)の出願が昭和四五年になされた。(尚、本件登録商標が、出願当時、新蔵の妻子ら相続人の名義でなされたのは、先に新蔵の名義で登録された第五二一一〇三号商標権(甲第九八号証)が新蔵の死去により、一旦その相続人名義となり、本件登録商標が当該商標と類似し、連合関係となることを考慮して同一人名義とする必要があったからである。その後、いずれも上告人名義に変更されている。)
本件登録商標は、隷書体の「下呂膏」のみの文字よりなる商標であるが、これは、それ自体で商標登録の要件(商標法三条)を満たすと考えられ、また商標権の効力範囲が広くなるので、「下呂膏」の文字自体で出願したのである。
本件登録商標は、右のように、薬袋に表示された「下呂膏」の書体の変更に伴い、また「下呂膏」商標権の効力の強化を目的として、かつて新蔵が出願して登録された第五二一一〇三号商標権(甲第九八号証)の連合商標として出願された。
三、以上の本件登録商標出願に至る経緯についての事実関係によると、新蔵が昭和三二年五月に、当時使用していた薬袋に表示されていた「図形・東上田・下呂膏」よりなる商標(第五二一一〇三号)を特許庁に出願したのは、「下呂膏」の創製後七年が経過し膏薬製造事業も軌道に乗りつつあった時期である。新蔵は、この商標出願の翌年の昭和三三年には「下呂膏社」を合資会社に法人化しており、この昭和三二、三年頃にその事業基盤を固めようとしていたのである。
つまり、新蔵は、自らの事業経営の一つとして、商標の登録出願をなしたのであって、この出願行為自体は、翌年の下呂膏社の法人化とも相まって、事業経営者として真摯なかつ自然なものであった。
なぜなら、このように商品(膏薬)を製造し販売する事業の経営において、最も重要なことは、自己の生産する商品についての商標権を確保して、商品製造の基盤を安定化することであり、自ら経営する事業において製造販売する膏薬の商標「下呂膏」の使用を確保するとともに、他人からの不意の使用差止めを回避するために、新蔵が商標権を取得する必要性を感じたのは、経営者として至極当然のことだからである。
このことは、本件登録商標の出願についても同様であるうえ、上告人が事業経営を営む過程において、商標の変遷によって新たな商標を出願する必要性があり、また同時に商標の効力強化を目的とするもので、世上行われている商標管理上の必要性に基づく自然でかつ当然の行為である。
四、逆に、六代目又右衛門にとっては、彼自身、膏薬製造技術を持たず、また膏薬製造の事業経営に関与しない(甲第七号証の契約)ものであることから、さらに自身は接骨医療をその生業とするものであるから、新蔵が感じるような商標権の取得の必要性は全くなく、考える必要すらなかった。
事実、この新蔵による「図形・東上田・下呂膏」よりなる商標権(第五二一一〇三号)の取得に関しては、当時、六代目又右衛門からは何の意向も示されず、平穏無事に事が進んだ。否、むしろ、この新蔵による第五二一一〇三号商標権の確立によって、六代目自身もまた、これによって自己の名が記された膏薬が安心して世に出されることができたのである。
そして、本件登録商標の出願行為についても、前記と同様に、膏薬製造技術を持たず、また膏薬製造の事業経営に何ら関与することがない、接骨医療をその生業とする六代目又右衛門にとっては、上告人のような商標管理上の必要性は全くなく、考える必要すらなかったのである。
むしろ、六代目又右衛門並びに奥田家が必要としたのは、世襲制を採っている「奥田又右衛門」の名声を維持し、広めて行くことであった。この事実は、「奥田又右衛門膏本舗」の商号で会社を設立したのは、「奥田又右衛門」の名を後々まで残すためであったとの七代目又右衛門の証言並びに、甲第七号証の契約からも明らかである。
六代目又右衛門は、新蔵と甲第七号証の契約を締結しているが、新蔵は、当時、芦原から来たばかりのよそ者であり、襲名制を取る地元の言わば名家である六代目又右衛門及び奥田家がこのようなよそ者と右契約を締結するには、それなりの理由があった。つまり、六代目又右衛門及び奥田家にとっては、世襲制である奥田又右衛門の名声を維持し、かつ広めることこそ最も重要な点であった。そして、五代目又右衛門と東上田膏との関係と同様に、六代目又右衛門としては、「下呂膏」の製造許可名義人となり、その薬袋に「奥田又右衛門」の名が記載されれば、薬袋とともに、より広い規模でその名が知られる。更に、「東上田膏」と同品質の膏薬が地元で製造されれば、良質の膏薬の安定的供給の確保ができるという利点もあった。
五、右のように、新蔵および上告人は、自らの責任と計算の下に営む膏薬製造事業の必要により、事業経営の一つとして、前記第五二一一〇三号商標および本件登録商標の出願を行ったのであって、これは社会常識上あるいは社会通念上、真摯で正当な行為である。他方、六代目又右衛門は、奥田又右衛門の名声の維持と膏薬の安定的供給の確保にのみ関心があり、膏薬製造の事業経営に何ら関与することがなく、従って商標権の取得についての必要性が全くなく、考える必要すらなかったのである。このような六代目又右衛門に対して、事前の相談なくして、新蔵および上告人が本件登録商標を出願したとしても、「密かに、無断で」出願したとして「背信行為」に該当するようなことはあり得ない。
第四、権利濫用の成否についてのまとめ
一、権利濫用は、権利の行使が第三者に加害する意思・目的をもって行われる場合、公序良俗に違反する場合、権利行使者の側において正当な利益が存在しない場合、あるいは、相手方が権利行使によって権利者の利益に比肩し得ない著しい損害を被る場合に成立するとされている(注釈民法(一)八九頁。)
本件は、自らの事業として、膏薬の製造販売を営んでいる上告人が、六代目又右衛門の名を広告として利用して、「下呂膏」を販売して来たものである。
事業者である上告人としては、資本を投下し、人材を確保し、更には、宣伝広告に努めて来たのである。上告人にとっては、その主力商品の名称であり顔である「下呂膏」の標章についての権利確保は、必要不可欠のものであった。他方、六代目又右衛門としては、自らの接骨医としての名声を維持し、膏薬の安定供給を得ることで満足をしており、「下呂膏」標章についての権利確保には何らの関心を示していなかった。
このような状況において、上告人が、「下呂膏」の標章を商標出願したのは、事業者として至極当然な行為であり、むしろ、そうせざるを得なかったと言っても過言ではない。
このような上告人の本件登録商標の出願・登録が、背信的であるかのような非難を受けるいわれは、全く存しない。
ましてや、本件は、奥田又右衛門に対して、権利行使をしている事案ではなく、上告人が「下呂膏」の商標登録を受けていることを知りながら、これに類似する標章の使用を開始した、奥田又右衛門とは全く別個の法人格を有する被上告人らに対して、その標章の差止を求めている事案である。むしろ、背信的なのは、本件登録商標の存在を知りながら類似標章の使用を開始した被上告人らであると言わねばならない。
したがって、本件においては、本件登録商標に基づく上告人の権利行使は、第三者に対する加害の意思などでなされたものでないことや、公序良俗に反しないことは当然のことであり、また、もし権利行使をしなければ、同じ「下呂膏」の文字を使用する以上、需要者の誤認混同は避けられず、「下呂膏」を先行して製造販売してかつ商標権者である上告人の被る不利益は明らかである。そして、上告人の本件権利行使が、正当な利益に基づくものであることは明らかである。
よって、本件において、権利乱用が成立しないのは、当然であると言える。
二、次に、商標権の行使に対して権利濫用を認めた過去の判例を見ると、第三者がもっている商標の顧客吸引力を利用する意図の下に出願して登録を受けた場合や、著名な著作権のもっている顧客吸引力を利用する意図の下に商標出願をして登録を得た場合、他人が広告宣伝に努めた商標が未登録であることを奇貨として商標出願した場合、長年にわたり不使用の商標を譲り受けた場合、第三者の商品表示又は営業表示が周知に至っており、不正競争防止法に基づき差止を請求する地位にあるとき、その第三者の差止請求に対抗するため商標出願をして登録を得た場合に、いずれも権利濫用が認められている。
このような過去の判例に照らしても、本件は、権利濫用には該当しないと言える。
本件登録商標の出願は、昭和四五年一二月一一日という古い時期になされており、不正競争防止法の差止を免れるなどという目的が問題にならないのは当然であり、また、当時、「下呂膏」を製造販売していたのは上告人だけであつて、第三者がもっている顧客吸引力を利用するなどということもあり得ない。そして、費用を費やして「下呂膏」の広告宣伝に努めたのは、上告人に他ならないのである。
三、前述のとおり、権利濫用の成立について、原判決の判断には種々の誤りが存している。第二及び第三の各項において、上告人は、権利濫用を成立させると原判決が認定した各要素について、その判断の誤りを縷々述べて来たが、個々の要素についての判断の誤りが存するため、以上から、原審の権利濫用自体の判断については、明らかに判決に影響を及ぼすべき法令解釈の誤りが存するものである。
よって、原判決は破棄されるべきである。
以上
別紙
<省略>